好きな童謡

童謡のなかには、ふうん、と感心する歌詞があって
最近たまたま一寸法師の歌詞をYouTubeで最後まで聞いたのだが
そのストーリー性、アクション性に感心してしまった。
以下がその歌詞。一番だけは覚えていたけれど・・・。

二番。「京は 三条の 大臣どのに」
テンポが速いので、「サンジョの大臣殿に」と聞こえる。すっごくいい。京へ出た一寸法師が
三条のあたりにお住いの大臣殿のお抱えとなり、お気に入りとなり、
三条さまから「それ法師、法師はどこじゃな」などと言われる。

それで若くうつくしい姫のお供に清水寺へ。
「さても帰りの清水坂に」(下の歌詞、間違ってますよね、寺になっていますが、坂でなくてはストーリーになりません。)
この「さても」っていうの、いいですよね。
鬼が出て食ってかかれば、その口に躍り込む。
そして、「針の太刀をば逆手にとって」
これ、どういうことだろう。
で打ち出の小槌を振れば、法師はぐんぐん大きくなって、やがて姫と結婚・・・とここまでは歌には書いてないけれど。

この歌のつぎに、「牛若丸」も聞いたが、これもいい。
鬼のような弁慶が京の五条の橋の上で牛若と対決する。
なぎなたを振り下ろすが、牛若丸は扇をはっしと投げつける。
そして、右と思えばまた左、前と思えばまた後ろ、とひらりひらりと飛んでかわす。
しまいに弁慶は降参!
このリズム性がとてもいい。歌いだしの「京の五条の橋の上」というのもすっきりしていていい。

童謡でも、「ふるさと」とか「春の小川」とかは、べつに何の感じもしないのだけれど、ストーリー性のある童謡はとても面白い。
考えて見れば、わたしの親の時代は、小学唱歌と称してこのような歌をたくさん学校で教わったのだと思う。

しかしわたしの小学校の頃は、もっと現代的な歌になっていたから、「一寸法師」も幼稚園でちょっとうたったのか、
「牛若丸」に至っては、母から聞いたのか・・・。小さい頃だから意味などわからない。昔の小学唱歌は昔の天皇制・国粋主義の香りのするものもあるけれど、あの雰囲気、ストーリー性、言葉のうつくしさから言っていいなあ、と思うものも沢山ある。

一寸法師  

指にたりない一寸法師
小さいからだに大きな望み
お椀の舟に箸のかい
京へはるばるのぼりゆく

打出の小槌京は三条の大臣どのに
抱えられたる一寸法師
法師法師とお気に入り
姫のお伴で清水へ

さても帰りの清水寺に
鬼が一匹現れ出でて
食ってかかればその口へ
法師たちまち踊りこむ

針の刀を逆手にもって
チクリチクリと腹つけば
鬼は法師を吐きだして
一生けんめい逃げていく

鬼が忘れた打ち出の小槌
打てばふしぎや一寸法師
ひと打ちごとに背がのびて
今は立派な大男



牛若丸

京の五条の橋の上
大のおとこの弁慶は
長い薙刀ふりあげて
牛若めがけて切りかかる

牛若丸は飛び退いて
持った扇を投げつけて
来い来い来いと欄干の
上へあがって手を叩く

前やうしろや右左
ここと思えば またあちら
燕のような早業に
鬼の弁慶あやまった



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# by takanak | 2018-02-17 21:46 | 感想 | Comments(0)

うそでしょう!

きょう電車のなかでびっくりした。
向かいにすわっている若い女の子が人の首(!)を胸に抱えてなにかやっているのだ。
えっえっえっえっとぎょっとしたら
なんとそれはマネキンの人の大きさの首をリュックからだして、
その髪の毛をちょきちょき切っているのだ
美容師の勉強をしているのか・・・
なにも電車のなかでやることもなかろうが。
わたしにはその頭の後ろのみ、髪の毛のみ見える。
下りようとしたおじさんもぎょっとして右手を見ている
しかし、あの女の子、神経がどうかしているのではないか・・・
これは恐怖小説になるよ、と思った
たとえそれがマネキンであろうと、あの子の心理を考えると恐怖小説になりそうだ・・・。
ああ、なんまんだぶなんまんだぶという感じである・・・。

話は変わって、次回のエッセイ教室のお題は「雪景色」。
どうしてこうも当たり前のお題しかでないのかなあ。かといってなにが当たり前でないかわからないけれど。
雪景色と言えばだいたい決まってしまうのではないかなあ。
決まらないようなことを書きたいなあ、と思う。
他のメンバーはほんとうに体験と語彙が豊富なのである。つぎからつぎへと、言葉が出てくる。
〇十年の人生から出てくる言葉。
わたしは言葉が、というより、知っている物事が少ないからね。

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# by takanak | 2018-02-15 21:23 | 日々の暮らし | Comments(0)

先ほどまでスマホでNHKらじるらじるの番組
「聴き逃し」を聞いていた。これはスグレモノである。
ラジオ聞きたいなあと思ってつけても、必ずしも好きな番組でない時もある。
とくにわたしは、音楽とその間のDJのようなおしゃべりが好きでない。

夕食の仕度をしていてつけると、たまたま竹下景子と西田敏行の朗読ドラマにあたることがあって、これは好きだった。
また、地球ラジオという、世界中で暮らしているあるいは旅行中の日本人からライブで
土地の暮らしの紹介があって、あるいは、たった一人でバックパックやバイクで旅行している
若者、いや、60ぐらいの男性からのレポートがあって
これも好きだ。
じぶんには絶対できないことだが、憧れるのでその人達の話を聞くのは好きである。

しかし、音楽もそんなに好きでないし、その間のおしゃべりもうるさい・・・。
深夜便もそんな感じなことが多いので好きでない・・。

ということで、見つかったのがらじるらじるの「聴き逃し」である。
これは過去数か月ぐらいの、NHK第一・第二の特集、連載、シリーズ番組をまとめて録音している。
先ほどの朗読ドラマあり、カルチャーあり、ドキュメンタリーあり、もちろん歌番組やふだんラジオで毎日放送されているのもある。

とんでもなく有名な作家や学者などが出てきて、しみじみと話す。好きだったのが、ミュージック・イン・ブックスといって人気作家が文学作品と音楽を話すのがあった。

いつぞやは昭和天皇のご兄弟の特徴、どんな育てられ方をしたかとか、どんな文化的貢献をしたかなどを、とても面白く語る番組もあった。太平洋戦争の前後の政治家たちの肉声を聞かせてくれて、これはどんな背景があったかを専門家の人が話し、それをアナウンサーが聞き取るというのもある。アナウンサーもとても上手で、お年を召した女性がしみじみとした声できちんと語りかけたり、あるいはまだ若そうな男性が、crispyな声で、要領よく、作家の話を聞いてゆく。

さきほどは、亡くなった渡辺和子さんのインタビューだった。この方のご本は何冊か読んだことがあるので、お父様のことは知っていたが、あらためてその声に惹かれた。

生活のこと、健康のはなし、仕事のやり方などなど、7,8分の番組もあるし、30分ぐらいのもある。

人生の知恵に満ちている。わたしは上記の番組が好きだが、中高生や若い人向けの番組も沢山ある。

歴史人物の肉声を聞けるというのは、すごい。
また、人気の現代作家がさりげなく日常を話すのもいい。

なにより、好きな時間に好きな番組を聞けるというのが、いちばんいい。



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# by takanak | 2018-02-12 14:52 | 日々の暮らし | Comments(2)

昭和ダンディズムの映画

昨日は勢い込んで神保町シアターまで映画を見に行った。
今、昭和のダンディズムと称して、池部良、佐田啓二、森雅之、上原謙の映画の特集をやっているのである。
あたしゃ、池部良、佐田啓二、上原謙については、なんの感慨もないが、森雅之には惹かれるので
今ちょうど彼の映画の特集なので見に行った。

彼らはわたしの母親の年代である。一応ことわっておくと。
きのうやっていたのは「すずかけの散歩道」(1959)と「帰郷」(1964)である。

残念ながら、あまりピンと来なかった。「すずかけ・・・」は石坂洋次郎原作。それらしき台詞がなんとも理屈っぽくて、「青い山脈」もそうだったけれど、石坂氏の作品の概念がどうも苦手だ。さいごの場面で、高校生たちがペアとなって川辺で絵を描いているところは、ほんとに恥ずかしくって、しらっとしてしまった。女優さんたちは本当に美しい。

「帰郷」は、吉永小百合が熱演。母親役の高峰三枝子も上手。芦田伸介はほんとうに立派だしうまい。

だが、両方の映画で森雅之はちょっとぱっとしなかった。顔色も茶色で良くない。あの名作「浮雲」のニヒルさ、浮気っぽさ、知性、影のあるところはそのままだが、年老いてもそのままだとすると、ちょっと悲しい。なんといっても「浮雲」の森雅之は最高である。

あの映画を撮っていたとき、相手役の高峰秀子はちょうどフランスから帰ってきたころ、森もなんだったかの理由で少し太っていた。そんなふっくりした二人が、戦後引き揚げてきた男女を演じなくてはならないので、摂食に務めたという。ふたりは撮影所の食堂で、カロリーの少ない昼食をとりながら、がんばろうね、と話したというはなし。これは高峰のエッセイで読んだ。

羅生門で森雅之は主人公を演じたと言うが、どうもあの映画は怖くて見る気になれない・・・。



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# by takanak | 2018-02-11 18:31 | 感想 | Comments(0)

【詩】ありの一匹

日が斜めに差す
朝の日である
大勢の人が電車から降りて行く
階段を下りる
わたしもけつまずかないように下りる
いっせいに地下鉄の階段を下りて行く
下から来る人を避けつつ、避けつつ
リズムのようなものだ

わたしが生きていることを
誰も気づかないであろう
わたしがときたま話すと
応えてくれたりするけれど。

地下鉄のシートの上で目をつぶる
なんだかじぶんがずいぶん
小さくなったような気がする
ありの一匹
ありの一匹が詩を書く
だれも認めない
ありの一匹が生きている
どうにかこうにか生きている
詩を書こうとしている
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# by takanak | 2018-02-08 21:45 | 詩です | Comments(0)