「対話のレッスン」

平田オリザさんの「対話のレッスン」を読んでいる。なかなか面白い。(これはハウツーものではない。)

日本人は、会話はできても。「対話」は得意でないこと。

現代でよく非難の的になることば、「~とか」、「みたいな・・・」「系」などを、平田氏は現代日本語に失われ、
古語では様々な意味合いを持っていた助詞、助動詞による婉曲表現の代わりだと言っている(と思う)。

この記事が書かれたのは、1990年代の終わりごろなので、今とは違うかもしれないが、わたしには「ふんふん」と
思われることが多い。

わたしも、今、眉をひそめる人がいる若者ことば、そして自分もつい使ってしまう言葉が、そんなに悪いとは思わないときがある。

まず、「~っていうかぁ」というのも、ある意味、否定の婉曲か?
よく、店のレジで聞く言葉「千円からいただきます」。「から」って必要っ???という批判の言葉を新聞などなどでよく目にする。
でも、平田式考えでいけば、もしかして、「千円いただきます」というのが、今の若者にとってすこしストレート過ぎて

「千円から・・・」となんとなく使ってしまうのかもしれない。

でも、いまだに馴染めない言葉は、「なので」を文頭に使うこと。以前は「そういうわけで」とか「ですから」とか
言ったと思う。とくに、文章で、段落を変えて突然「なので」が現れる。あまりに突然すぎて

「なにが、『なので』なのよっ。突然言われてもわかんないよ」と言いたくなる。

わたしは、現実生活では「対話」どころか、「会話」も苦手である。しかし、というか、だからこそ、対話とはなんだろうかと
考える。



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# by takanak | 2018-05-22 21:52 | 感想 | Trackback | Comments(0)

ハウツーものの本

以前は、ハウツーものの本をいろいろ買った。ワークバランスとか、心理系のもの。

それは、たいがい、ソフトなカバーで字も大きめ。1000円前後である。電車でも読みやすい。
しかし、しばらく読んでいるとなんとなく、しらっとしてきて、パラパラとしか読まずにそのまま
古本としてブックオフ行きとなる。

最近は、節約もあって、まずそういう本は買わないようにしているが、つい、「もしかして役に立つかも」と買うこともある。
そして、損した・・・と思う。

こうしたハウツーものは、本屋でちらっと立ち読みして、「あ、いいな」と思っただけで十分。心に残るのである。
また続きを読みたければ、また本屋に行けばいいのである。

最近買ってしまった本は、「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」(原題 Highly Sensitive Person)である。

本屋でパラパラと読んで、役に立つかも、と思ったが、実際読んでみると、とてもHSPの人を大切にしていて
著者もそうであるそうなのだが、かえりみるに自分はHSPと断言するほどでは全然ない。社会不安障害というのは
90%そうだと言えるが、HSPというほど敏感な人間ではない、と思う・・・。

「違うかも・・・」と思った。で、積読になってしまった。

やはりこういった本は、本屋で立ち読みを継続したほうがよさそうである。


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# by takanak | 2018-05-21 22:34 | Trackback | Comments(0)

クリーニング店(2)

いつだったか、久しぶりに行ったら

おばさんも足を悪くしていて、今までカウンターの前におじいさん用の杖が一本あったのが
二本になっていた。

それから、いつのまにか、戸を開けたところの横の、刺繍糸やボタンの引き出しもなくなっていた。
それから、戸の前にいくつも並んでいた、きれいな花々の鉢もだんだん消えていった。

春夏秋冬、さまざまな花が、植木鉢に植えてあって、咲いていた。まだ歩けていた母を連れて行ったときは、
母は花々を見て、何か言いたそうだった。

「きれいですね、奥さんが手入れを?」とか言いたそうだった。こうした、きめの細かい手入れをする人が母はとても
好きだったのではないかと思う。もう、その時にはことばを失っていたのだが、あの「きれいな花・・・」というまなざしでガラス戸の外を眺めていたから、母はそんなことが、おばさんに対していいたかったのではないかと思う。

ともかく、あの店に入ると「昭和の雰囲気」がした。のんびりとした、ひっそりとした・・・。ひとは決してべちゃくちゃとしゃぺらない。当たり前のことを当たり前に静かにやっていて・・・。

ポイントカードもなかったけれど、お得意のお客さんたちがいるらしく、日曜の午後など、たった一人しかはいらないカウンターの前にどっさり積んだ洗濯物を前にして、どこかの奥さんが、おばさんと長話をしていた。

しかし、わたしは、足のわるいおばさんが、おそらく二階から来てくれるのが申し訳なく、また10時から15時の間に行くのもなかなか難しく、別のクリーニング店に行ったりしていた。

で、姪っ子が「クリーニング出しに行くよ」と言ったので、あ、そうだ、姪はクリーニングと言えば、あのおばさんのところだと思っているのだな、と気がついた。

おばさんとたった一回、長話をしたことがある。「ご主人は・・・?」と聞いたら、おばさんが、実は入院していて・・・と話し出したのである。長く入院する病院を探すのが難しいこと、一人暮らしになってしまって困ること、などをおばさんは話した。ほんとに世間話で、なんの衒いも、同情を求める風でもなく、まるで、小津映画の登場人物のように、「ホント、困ったわねえ」というように話したのである。わたしもじぶんのことを話した。

帰ってきた姪に「おばさん、いた?」と聞いたら、「いたよ」と答えた。「10時から3時までならいるんだよ」と。

なんか、ほっとした。



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# by takanak | 2018-05-20 18:53 | 日々の暮らし | Trackback | Comments(0)

クリーニング店(1)

姪が荷物を抱えて、これからクリーニング屋に行ってくる、と言う。
あら、悪いわね、コタツがけ取らなくちゃと思っていたのよ・・・

姪は大きな茶色の布袋を肩にかけ、帽子をかぶり、もう行こうとしている。

あそこのおばさんのクリーニングね。おばさん、ずうっと足が悪くてね

そうだよ、十時から三時までだよね・・・

前回おばさんのところに行ってから、何か月も経っている。
別にポイントがたまるカードもない、路地の先の目立たないクリーニング店である。

以前はおじいさんがはいったところの椅子に座っていて、いつもテレビを見ていた。
おじいさんとは、町の自治会で顔を合わせたことがある。

クリーニングをどっさり持って入ると、おじいさんがにこにこしてテレビを見ている。大体、相撲である。
「やっ」とか「おう」とか画面に向かって声をあげていることもあった。しばらくわたしが入ってくるのに気がつかない。
耳がよく聞こえないのだ。

気がつくと、「おう、いらっしゃい。ちょっと待っててくださいよ」と言って、よたよたと奥に歩いていって
「お客だよう」と二階に叫ぶ。すると、とんとんと音がして奥さん(おばさん)が下りてくる。エプロン姿で。

このクリーニング店に行き始めてから何年が経ったろう。もう、30年ぐらいかもしれない。以前は戸を開けた左の棚の上に
ボタンや、いろんな色の刺繍糸やら並んでいて売っていた。おばさんが縫物をするらしかった。

昨年、やはりこたつがけを持っていった。何週間(!)かして、引き取って、しばしたたんだまま置いておいて、またしばらくしてしまおうと広げたら、端の破れたところに、きれいなピンク色の布が貼ってあって、かわいく縫ってあった。
「あ~申し訳ないっ」と初めて気がついた。

このこたつがけは、むかし母が作ってくれた、かわいい動物たちの絵のついたもので、父がいたときから、そろそろ周囲がささくれだってきたのに、大きくて使いやすいからそのまま使っていたものである。
で、すこし破れたところがあるのをそのままクリーニングに出したのだった。まさか直してくれるなんて思ってもみなかった・・・。

それに気づいたのが、引き取って何週間もあとだった・・・。わたしは、申し訳なくって、ありあわせの洗濯物を持って、おばさんのところに出かけた。

いつものように、眼鏡をかけて、にこにこと出てきて、何もいわずに洗濯物を見て、計算するおばさんに、
「あのう、こないだこたつがけ、縫って頂いてすみませんでした。気がつかなくて」と言ったら

「あ~ら、いいのよ。あんな布でごめんなさい、却ってだいじょうぶだったかしら」と言うので、
「いえいえ、とんでもないです。有難かったです」と答えた。

だいじょぶどころか、あんなかわいい、ピンクの布がこたつがけの模様とぴったりしていて、アップリケみたいでかわいかったのである。

(続く・・・)

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# by takanak | 2018-05-20 08:09 | 日々の暮らし | Trackback | Comments(0)

映画「破戒」を見る

川喜多かしこ記念館で映画「破戒」(1962)を見た。

主人公の丑松を演じた市川雷蔵ってあんな上品で、演技がうまいのねー知らなかった。生徒たちに自分の生い立ちを暴露するところは
思わず泣いてしまう。
 長門裕之、藤村志保、三國連太郎(この当時はすごいハンサム)、中村鴈治郎、岸田今日子、杉村春子が出演、すごいものである。

部落民だと告白したあとも、丑松を支える人たちだ。やはり部落出身で差別の撤廃を叫んでいた猪子(三國)が亡くなったあと、彼の妻(岸田)が、丑松に、「あなたは人生の苦悩を部落民であるからというけれど、そのせいにしてはいけない」というところは説得力がある。

映画自体は、まず、映像がきれいだ。

最初は、牛に丑松の父が殺されるという、かなり暴力的な、暗いところから始まるが、そしてそのトーンは猪子が亡くなるところとか、変わらないけれども、おしまいの方は、長門が、告白した丑松とやはり親友であろうとし続けるところ、藤村が、一生丑松に添い遂げたいとするところなど、柔らかい、ヒューマンなタッチになる。

また、住職の鴈治郎は女たらしではあるが、丑松を杉村とともに支える。

まあ、よい映画と言えるのではないかな。

上映後、関係者のおじさま(誰だか、名前は言わなかった)が、当時の大映の「通信」から、エピソードを紹介してくれた。
しかし、これが長くて、わたしの知らない映画の細かな裏話ばかりで、正直眠くなってしまった・・・。
一番前の真ん中の席にいた、髪の長い、ものすごい厚化粧の女性が、おじさまが話す内容に合いの手を入れて、ああだとかこうだとか、いやそれは違うわよ、とか言って、ずいぶん詳しいらしい。市川雷蔵のファンだったのだろうか、と思った。






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# by takanak | 2018-05-18 21:31 | Trackback | Comments(0)